間違ったバランス取りについて
http://blog.livedoor.jp/oospexxx/archives/51060824.html
について、もう少し。
報道のバランスについて
それがいきなりヘイトスピーチだの、日本人が差別しましたニュースになるんだぜ。
世界中、日本人差別だらけのネットでね。
mixi、ITmedia,ライブドアニュースにまでしやがって。
例えば、日本で殺人事件が起きたとしよう。通り魔殺人で一家死亡みたいな。
それに対して、「へっ。そんなものは、メトロシティじゃニュースにもならないぜ!*1 なんでその程度のことを報道する! 日本の報道機関は偏向してる!」というのは、明らかにおかしいだろう。
規模が小さい殺人事件でも、それがニュースになるのは、健全なことだ。
ニコニコでの差別事件は、少なくとも、日本では大きなニュースだ。一件のニュースを過度に一般化してはいけないが、報道する価値は少なくともあっただろう。仮に*2「よその国では、日本人なんて、もっともっと差別されてるんだぜ」というのが正しくても、「だからなに?」って話だ。
身内から批判すること
日本の罵倒をけなすのと同じくらいの非難を韓国にも。
韓国のレイシストたちを罵倒すべきなのだ。
誰かや何かを批判するというのは、その状況に変わってほしいからだ。何かを変えようとする時、発言には慎重になる必要がある。
例えば、家族や親しい人に対しては、気軽に意見を言いやすい。お互いのことをよく知っているし、つちかってきた信頼があるからだ。それに対して、親しくもない人に意見を言う時には慎重になる。正論ぶつけても、それがいい結果を生むとは限らないからだ。
もちろん、家族だから言いにくいとか、細かい場合は色々あるだろうけど、それでも、例えば、知り合いに対するのと同じ口調で、知らない人に意見を言うのは、まぁ、愚かだろう。
問題が差別でも、これは同じだ。私は日本人なので、外国のことより、日本のことのほうが、日本人のことのほうをよく知っている。だから、日本人に向けて言葉をかける。外国人一般の差別問題を語るためには、もっともと勉強をしたり、色々な人と知り合いになって信頼を築かなければいけないと思う。
こう言い換えてもいい。
同じ努力を使うなら、日本人は日本人の差別をなんとかしようとしたほうが、効率がいい*3。韓国では韓国の人が頑張ってるだろうしね。
それでなくても、人間、自分に都合のいい情報を一般化しやすい。だからこそ身内には厳しい目を向けて、よそを貶める意見には慎重になる。
それは礼儀というものだと思うのだ。
単純に「同じくらいの批判を」外国にするのは、それは間違ったバランスだ。