初音ミクは人間性を阻害するか?

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20071109
より

誰の人間性を阻害したか?

ちょっと違う話をしよう。現在は、打ち込みの技術が進んだ。
昔は作曲家が楽譜を書いても、それを実際に音にするには、生身の演奏家が要った。
今は、それは事実上要らなくなった。
作曲家が一人で、曲を具現化させることができるようになった。


では、それは演奏家にとって何を意味したか?
マチュアでやってる演奏家の場合。
ギターを弾くことを、サックスを吹くことを、誰も止めることはできない。そのことは何も変わってない。
プロでやってる演奏家の場合。
プロは、皆、単純なシンセの音源以上の価値を持つことで勝負している*1


好きなやつは好きにやればいいし、それで金を取りたいなら、死にものぐるいにやればいい。
ボーカロイドも同じだろ。
歌を歌うのは止められない。昨今なら、自分で歌って録音して公開することも、ずいぶん簡単になった。
同人作曲家が、ボーカロイドを使う一方で、歌う側だって曲に自分のボーカルを入れることができるようになった。
その上で、作曲家も歌い手も、道具を使うだけでは満たされない部分、人と人とでやりたい部分は、残るだろう。仲間がほしければ、仲間を作ればいい。
例えば、初音ミクでボーカル曲の「見本」を作って、気に入ったボーカルの人に歌ってもらう、というコラボだってあるわけだよね。

ちなみにこのまま初音ミクのブームが続いた場合、同人音楽業界は一握りの上手な歌姫と圧倒的多数のボーカロイドという構図になると思うけど、それでいいのかな。

歌が好きな人が歌を歌い、演奏や作曲が好きな人とつるむのを、初音ミクは別に阻害しないのよね。
同人音楽業界」という、微妙な線上に成立してるものの中の一部は、確かに影響を受けるかもしれないけど、だからどうなのよ?というのと、果たして、その人達は、hokusyuさんに代表されたいのか、という疑問が尽きない。

なぜミクは人格を持つのか?

初音ミクという仮象の人格をわざわざつくってまで「歌わせてみた」って言わなければならない理由って、はっきり言えば大衆的な支配欲・征服欲を満たすため以外考えられないのですな。もしくは阿片吸ってるか。

色々な人が指摘してるけど、人間は感情移入することによって、力を発揮する動物なのですよ。
「新しい技術によって開発されたDTMを皆で使いこなしましょう」というよりも。
初音ミクを皆で育てましょう」というほうが、作る側も聞く側もやる気がでるのですよ。
「発展途上の合成音声の下手な歌」じゃなくて、「初音ミクが一生懸命歌っています」と聞きなす心は、俺は美しいと思う。


既に「初音ミク」というのは、単なるDTMだけでは語れない。初音ミクという題材の膨大な絵が描かれ、ポリゴンモデルが作られ、様々な動画の中で動いている。
みんな、単なるDTMではなくて、総合的なヒューマンインターフェースを夢想している。
対話型で「歌を歌ってくれる」ような。歌に合わせて表情を見せてくれるような。果てはAIも装備して、本当に話してくれるような。
ま、そこまで行くと夢物語だけど、既にある程度は実現しかけている。
例えば、リップシンクロつきの3Dモデルとかは、実現が可能な線だ。誰かが既に作り始めてるかもしれない。
これらは全部「初音ミク」という人格を、皆で支えることにしたからだ。


支配欲? 征服欲? もちろん、それもあるだろう。
親が子供を育てる時に、一個の人格を自分の思い通りに整形したいという支配欲や征服欲という動機は確実に含まれている。
でも、それだけかどうかは、育つ子供を見ればわかる。初音ミクもそうだろう。


それが、あざとい、とか、キモい、とかいうのは、もちろん感想としてアリだと思う。
でも、少なくとも実効性はあるのよ。阿片とは比べられない。

*1:シンセと生演奏とどっちが優れてるか、という話じゃなくて、相互に代替不可能な部分があるということね