私が嫌いな批評

破の評価

原作者のみなさんは二次創作に膝を屈したんですね、ってことですよ。
今更ハッピーエンドのエヴァなんか散々見飽きてるよ、遅いよ、ってことです。既存のハッピーエンドを文句なく凌駕してるわけでもないし。
あんたたちの売りはそういうキモさじゃなかったの? って。
差別化は大事。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090630/p1
コメント欄

なんだろう、この気持ち悪さは。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の評価は色々ありうるし、旧作に比べてポジティブな展開をどう評価するかは人それぞれだろう。鬱展開あってのエヴァじゃん、という気持ちは、正直、同意できる部分もある。


なんだが、それはそれだけのことだ。つまり好き嫌いの問題だ。
それがなぜ「二次創作に膝を屈した」ことになるのだろうか?

批評家の傲慢

そういう結論が出てくるには、二つの前提がある。


1.エヴァンゲリオンの価値は、そのテーマの掘り下げである。
2.先行のテーマとかぶるものは価値がない。


アニメと同人誌などのファンフィクションの価値は、本来比較できないが、稲葉氏は、1のテーマの掘り下げという点で比較している。
そして、既に同人誌で描かれたハッピーエンドに比べて劣っているから「膝を屈している」というわけだ。


テーマ至上主義と、独自性至上主義。私が嫌いなタイプの批評だ。

アニメと同人誌

そもそもアニメという媒体と同人誌、ウェブSSという媒体では、前者はコストが大きく、後者はコストが小さい。


故に、独自性の強いテーマの掘り下げやら、批評的に価値のある新解釈やらをやるのなら、文章や漫画のほうが、劇場版アニメより作りやすい。


数ある同人誌の中の最高のものが、劇場版アニメより、テーマの掘り下げにおいて優れていたとして、それらの作者の方には敬意を抱くが、その上で別に驚くことではない。


それをして、「原作者は二次創作に膝を屈した」とか言うのは、なんというか勘違いだろう。
「今更ハッピーエンドのエヴァなんか散々見飽きてるよ、遅いよ」と得意げに稲葉氏は語るが、当たり前の話だが、新劇場版視聴者の中で『リィ、ナ、クルィネ』の読者は少数だろう。
要するに「俺はすごい同人誌を知ってるからエライ」というマニアの醜悪な居直りだ。

どうもこのままでは、巷にあふれまくったエヴァ二次創作との差別化のポイントが「美麗な映像と見事な演出」だけになってしまいそう。

「美麗な映像と見事な演出」について語る言葉を持たない、テーマの掘り下げについてしか語ることができない、アニメに無教養な自称批評家には、もう飽きた。
テーマ性や、独自性は評価軸の一つとして大切だ。だがそれは唯一の評価軸ではない。
アニメという豊穣な媒体に接して、そのうちの、物語のテーマという軸についてしか語れない貧しさというのは、もっと認識されるべきだと思う。
無論、批評の全てが映像や演出について語る必要はないし、全ての批評はそれぞれに偏ったものだろう。
であるなら、自分の持つ偏りを意識し、それに自覚的な評論こそが誠実な批評だろう。


人間は、自分勝手な理由で作品を好きになったり嫌いになったりするし、それはそれで全然構わないのだが、偏った好みを、安直な芸術論(テーマ掘り下げ至上主義、独自性至上主義)で押しつけられるのは、嫌いだ。

うお、ミス

下書き保存して寝かせるつもりが、投稿されてた。
記事にするんじゃなくて、稲葉さんへのコメント欄投稿にしようと思ったのだが……とりあえず記事はこのままに。