批評の価値

こんな批評はいやだ

前回の記事で、私は稲葉さんの、ヱヴァ破評を、以下のような点で嫌いであると表明した。


・動画と音を捨象する問題
アニメを批評するにあたって、動画や音に対する評価がなく、ストーリーの範囲のみに絞った批評を行っていること。
・テーマ至上主義
ストーリーの内容を、テーマの掘り下げのみで評価すること。
・独自性至上主義
テーマの掘り下げを評価するに当たって、他の作品とどちらが新しいかで評価するということ。


テーマの掘り下げの深さのオリジナリティのみの観点から評価するのは別に構わないんだが、それだけが全てであるようなエラソーな評論が嫌いだ。
ある作品があって評価基準は様々でありうる中に、その観点が最も重要と思うのであれば重要である根拠がほしいし、そうではなくて一つの観点に過ぎないと思うのなら、そのように書くべきだろう。

バカでもできる批評

上記のような批評を、なぜ、私が嫌いかというと、バカでもできる批評だからだ。言葉を替えるなら、批評者の勉強不足を正当化する態度だからだ。


作品を把握する時に、あらすじと、そのテーマに圧縮して把握するのは、一番、簡単なやり方だ。
それについて、新しいか古いかだけで比較・評価するのも、たいそう簡単だ。
どんなものでも十分に抽象化、記号化すれば、必ず何かに似ている。故に、何かと何かを比較して何かのパクりだとか、何かに劣るとかいうのは、あまりにも簡単だ。小学生の読書感想文くらいにフォーマット化できる。


そのフォーマットで、例えば、「月姫は、羊のうたのパクり」、「Fateは、クロノグランサーのパクり」、「新ヱヴァは、ファンフィクションの後追い」的な、クズ批評は、いくらでも量産できるが、そんなものに価値はあるのか?

ブクマレス

shinichiroinaba 批評というのはそういうものだし、批判することと楽しむことは矛盾しないですよ。ぼくは十分楽しみました。

前回の記事に対するブクマレスは以上のようなものだった。


「そういうもの」が、どこまでにかかっているのかわからないが、本当に、批評は、そういうものなの?
作品をテーマ性の掘り下げのみに捨象して、適当な作品と比較すりゃそれで終わりというくらいにお手軽なものなの?
もちろん、テーマ性の掘り下げと、その比較という観点から、深い批評が書けることは否定しないけど「Fateはクロノグランサーより後退」とか「ヱヴァはファンフィクションに負けそう」とか、その程度の「批判」は、単なるイチャモン以外の意味はないだろう。