視点の偏りということ

ご指摘ごもっともなんですが、まあぼくは厳密な意味でのまんが批評をする能力は自分にはないし、やる気もないんですね。申し訳ないですが。
つまり視覚芸術としてのまんが・アニメ・映画を本格的に研究するのに必要な素養がないし、これからその修行を積むつもりもない、ということです。
その辺はきちんと映画研究やルードロジーの訓練を積んできた他の方にお任せしたい。


というわけでどうしても視点は物語的側面に偏ってしまうのです。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090630#c1249445127

稲葉氏のコメントより。
開き直るのもいいんだが、訓練が足らず、また偏っていることを自覚しているのなら、その分謙虚に発言すればよかろう。
稲葉氏のコメントを見る限り、彼の言いたいことは例えば下記のようなものだろう。

たとえばこんな感じ

旧作エヴァンゲリオンの閉塞した終わり方が必ずしも好きだったわけではないが、あの、予定調和的な終わり方を一切廃して破綻に向かった展開は、エヴァンゲリオンの評価としてあるべきだろう。
翻って新劇場版は、かつてファンフィクションで予想されたようなウェルメイドな展開に流れているようだ。エヴァの持っていた独自性という点ではパワーダウンしていると言えよう。


とはいえ、独自性を基準に批評、批判するのは的を外している部分もあるかもしれない。なぜならば、今やエヴァンゲリオンというのはパチンコからゲーム、フィギュアまで多くの業界を巻き込んだ、それ自体一個の産業であり、個人の才能一つに依存するものというよりは、無数のパワーバランスの中に成り立つものだからだ。
エヴァンゲリオンは、商業的な熱気と庵野監督個人の作家性、あるいはルサンチマン的なものの掘り下げを奇跡的に両立させていたが、それらはエヴァンゲリオンという作品が企画され作られ、公開された経緯と密接に絡み合う。
であるから、その奇跡を新劇場版に望むことは酷というか不当でもあろう。作られた目的、意味合いが違うのだから、批評の軸も変わってしかるべきだからだ。


ただ個人的にはウェルメイドであるならウェルメイドであるにせよ、物語においても視聴者の予想を裏切り、越えるものを作ってほしい。この先「どこかのファンフィクションで見たようなストーリー」を越えるものが出てくることを望む。

批評と挑発

例えばこう書けば、
「映画は絵だよ! その意味で(ほとんどの)同人誌とは比べものにならないよ!」という人も
「リメイクがウェルメイドで何が悪い!」という人も
「オリジナリティ至上主義は馬鹿馬鹿しい!」という人も
普通に納得するだろう。
評価の際に、客観的な判断と個人的な主観、評価軸とその根拠、それらに対する自分の立場と意見を、述べておくだけの話だ。


穏当な意見を、わざと挑発的に書く人がいる。意見の内容に自信がないのではないかと思う。


逆に言うと、言ってることは普通に解釈すればまともなのだから、なぜ、そこまでファンフィクションとの勝った負けたにこだわるのか。
オタクによくある、ダメな縄張り意識にしか見えない。