男は檻にに感じる違和感

経緯

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091208/p1
こちらのコメント欄の続き。
 
現状、様々な状況で、性的暴力的犯罪に、女性が自衛しなければならない自体が悲しいことであるが起きている。
これについて、「男は獣だから女性が用心しなきゃね」と男性が言っていたりする。
これは、悪質な責任逃れではある。
暴行の責任は加害者にあるし、被害者にはない。「獣だから責任はとれない」という暗黙の前提で、暴力の被害者となることの責任を、一方的に被害者側に押しつけているわけだ。
 
さて、そのような幻想を持っている人に「じゃぁ男が獣なら、獣は檻に入れないとね」という皮肉で返すことで、自己矛盾に気付いてもらおう、という説得があるのではないか、という話が出た。
 
個人的に、この「獣は檻に」という部分が、説得の言い回しとして、引っかかった。

違和感

なぜひっかかるのかを考えて思ったのだが、獣を檻に入れるのは、保健所なり警察といった公権力である。言い方を変えると「エライ人がなんとかしてくれる」という話ではある。*1
 
説得の目的として相手に自己矛盾について気付いてもらいたいわけで、(比喩的な意味で)獣を檻に入れるのは、相手自身でなくてはならない。
なので、そこで意図が伝わらなかったり「そうだね。実際、獣は檻に入れればいいと思うよ(俺は安全だけどな)」と言った認識が生まれやすくなる。
 
そこを踏まえると「男は獣であるというなら、獣であるおまえが自分を檻に入れるべきだ」とするのが理屈の上では正しいが、長くて比喩が混乱してるので、皮肉としてはインパクトが薄い。

どうするとよいか?

俺が感心した言い回しでは「自己責任で去勢しろ」というのがあった。感心したというか、心に刺さった。
  
なぜ刺さったかを考えて見るわけだが。
俺自身、「男は獣だよ」とか「あの時は、しかたがなかったんだ」「我を忘れてしまって」といった言い訳を使いたくなる時はある(リアルで女性にセクハラしたという話ではない。念のため)。
 
一般論として、「ついフラフラと」悪いことをしてしまうこと、それを「しかたない」と言って責任逃れしたい気持ちは、わりと誰にでもあるだろう。
ただ人間が自己管理をするといのは、あらゆる場面で鉄壁の意志力を発揮する、という話ではない。
寝坊しそうなら目覚ましを仕掛ける、モーニングコールをお願いする、等、できなそうならできなそうなりに対処すればいい。 
 
で、それをレイプ問題にするのであれば、「自己責任で去勢しろ」という話になる。自分がレイプしそうな可能性があるなら、そうならないよう対処するのが当然で、対処できないかも、と、思うんだったら、今すぐ自分で去勢しろというわけだ。女性は、それと比べものにならない被害を受けているのだから。

というわけで

説得される対象として自分を考えた時「獣は檻へ」よりも「自己責任で去勢しろ」のほうが、深く刺さるものを感じた。
感じ方は人それぞれなので、俺が説得されやすいから、他の人がどうだとは限らない。
 
また、上記は、あくまでも「相手目線で説得する場合」の話である。
言い方は悪いが、「バカにも分かるように伝えるにはどうすればいいか?」という話だ。
たとえば誰かが自分の苦しみを訴えてそれを放置、擁護するものへの批判として語る場合には、「もっと相手目線で語って」などという要求ほど暴力的なものはない。

*1:「獣は檻に」の文章に含まれる危険性について引っかかってる人は、結局、この「エライ人になんとかさせる」という前提の部分に引っかかってるのではないかと思う。「エライ人が」「しかるべき集団の」「人権を奪う」という印象が、どうしてもつくので