andalusiaさんのコメント

『私が擁護したいのは、例えば私のエントリで例に出した「採用の際に大卒を条件」とかですね。また先天後天とか言われるとあれなので「宝塚音楽学校の入学試験で身長の低い人に不利な扱いをする」
でもいいですよ。
なお、「固定観念にも有用なことがある」ことも認めるべきと思っています。
また、「否定しない」と「肯定する」はイコールではありません。それがイコールになるのは0か1かのデジタルな世界の話です。
最後に、私がエントリを書くことになった発端が、「差別や偏見を持った人間を簡単に断罪」しようとしたid:buyobuyoさんへのブクマ上でのレスポンスから始まったことにも一応留意ください。』 (2007/10/28 19:48)

さて、人間、完全に公平であろうとすれば無限の時間と無限の情報を必要とする。故に、何をするにせよ完全に公平であることはできないし、その意味で、現実的な行動は、偏見を含まざるを得ない。
「採用の際に大卒を条件」は、その一例である。
個人で見れば、大卒者が常に非大卒者より有用とは限らないが、有用さを見分ける方法としては、機能する場合がある。


ところで、「手間をはぶくために大卒を条件にする」というのは、別に固定観念ではない。固定観念というのは、これが「大卒者は常に非大卒者より有用だ」と思いこんでしまった場合である。
こうした固定観念は有害である。
なぜなら、そうした人は、大卒資格がいらない状況においても、大卒者を選ぼうとし、結果、不利益を与えるからだ。
固定観念は「固定」されてるが故に有用ではない。


さて、大卒者を選ぶという行為には、もちろん差別が混じっている。それは確かだ。そうした行為がある程度、正当化される場合もある。


で、問題は、前の記事にも書いたが、それをニコ動で差別コメントをつけた人間の話に敷衍してることなのだ。


id:andalusiaさんのおっしゃりたいのは、「ニコ動で差別コメントつけた人間であっても絶対悪ではない。よって批判はあっていいが、限度はある。批判や罵倒が過ぎることもある」ということだと思う。
それは賛成だが、それなら、そう書けばいいのだ。
「こういう批判は正しいが、この人のこの言葉は言いすぎだ」と。
それをしないで、「就職における大卒差別」とかを持ち出すから安易な相対主義にしか見えなくなる。