おたく☆まっしぐら

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漢と書いて、おたくと読む!


田中ロミオ、シナリオの、裏「こみパ」。


製品としてはバグが多く、明らかにテキストの足りないルートがある等、未完成。
ただし、パッチをあてれば、とりあえず遊ぶには不自由しない。未完成ルートがあるが、最初から「そういうもの」と思えば問題ないだろう。
「できてる分」のルートを拝む価値は確かにある。


ストーリーはギャグ系、といっても色々あると思うが、「おた☆ぐら」のそれは、自虐と開き直り全壊の情念にみちみちたやつである。盛り込まれたネタの濃さや、セリフひとつひとつの情念は、もう見てもらうしかない。
各シナリオは、様々なジャンルの闇にまで踏み込む。サバゲーのシナリオでは、改造銃が手にとられる。コスプレのシナリオでは、コスプレイヤー側の露出の問題が、ゲーマーのシナリオではチートが語られるといった具合。


最初に裏「こみパ」と書いたのは、そうした闇を扱っていることも一つだが、もう一つ。
こみパ」は、オタクであることを「同人創作者」に代表させ、自己肯定に持っていった。
確かに創作は尊く、商業であろうと同人であろうと、そこに傾けられている熱意は敬意に値する。


だが、それは偽善ではないか?
実際問題、ほとんどのオタクは創作者ではない。消費者だ。


「おた☆ぐら」の主人公、本郷明は、全方位に濃い覚悟完了したオタクで、本編中では一種の超人として描かれるが、なぜか彼は物は作らない。作ろうとしない。
バイトだけしながら、消費にアイデンティティを見いだし、未来とか安定とか、そーゆーものをドブへ捨てる生き様こそが称揚されている。


我が身来し方を顧みるに、消費だけをアイデンティティにして生きてくのは、本当につらいんで、オタクは何かと屁理屈をこねるわけだが、でも、本当の底のところは、そういうもんじゃないかなーと思う。


つまらん言い訳をするよりは、開き直るほうが圧倒的に漢らしい。それだけは確かだ。
ま、親は泣くけどな!