オリジナリティと新鮮さ・分析の実例

前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/toward-end/20080309/1205027879)は、もともと、こちらの日記を見て、ひっかかったため。
奈須きのこの話
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20080308/1204976477

月姫と羊の歌

月姫」と「羊の歌」が共有するのは、「吸血鬼」+「旧家」というテーマであり、その必然性である。
旧家=異界、近親婚のタブーであり、異界であるから「化け物」、また近親婚=血のイメージから「吸血鬼」と相性がいい。
エントリー中で、id:n_euler666さんが上げている「一致」は、全て、この必然性の上に乗っているものばかりである。

養子から帰ってくる→旧家とその宿命を異界として描くなら、主人公は外の人間でなくてはいけない。
血の宿命を知らない→外の人間ですから最初は知らない。
姉・妹から教えられる→知らないから教えてもらう必要がある。近親婚のタブーがあるので、近親者女性の必然性。
血の衝動で自我を失う→主人公が吸血鬼のストーリーなら、ほぼ絶対にある展開。
早死にする→吸血鬼に限らず、怪しい旧家の当主ってのは、代々、血脈の呪いで狂い死にするもの。早死にも発狂も近親婚の弊害のイメージ。

という具合。
「吸血鬼」と「旧家」という取り合わせ自体も、「羊の歌」が最初というわけではない。そもそもにして「吸血鬼ドラキュラ」からが、「旧家」+「吸血鬼」であり、「主人公が実は吸血鬼の血を引いていた」というパターンも、無数に作られている。
実際、コメント欄では、「月姫」と「痕」と「羊の歌」が似ていることが指摘されている。
同時期に発売した「羊の歌」と「痕」が似ているのは、それらが同じテーマであるが故に、同じ必然性を共有しているからだ。


以上より、必然性を共有しているからといって、奈須きのこに、オリジナリティがない、という話にはならない。
「旧家」+「吸血鬼」という部分自体には、オリジナリティは少ないかもしれないが、その他の部分を見るべきだろう。

奈須きのこ山田風太郎永野護士郎正宗

山田風太郎は、忍法帳で異能力バトルというジャンルを開拓した。忍者同士のバトルというのは昔からあるが、山田風太郎の場合、各忍者の能力に、科学的、生理的根拠を持たせたところが新しい*1


奈須きのこと山風は似ているか?
異能力バトルという点では、もちろん、似ている。参考にしているところもあるだろう。
ただし、山風とただ、それは一般化のしすぎである。そのレベルで言うなら、この世のありとあらゆる異能力バトルは、みんな山風ということになる。

荒唐無稽な能力が腐るほど出てくるのは”山田風太郎”の血.奈須きのこの作品で一番面白い能力だと思ってる,琥珀翡翠はまったく山田風太郎のキャラ(姉妹の忍者で侍女.唾液を飲ませることで若さを保つことができる能力者).

唾液を呑ませるのと血を呑ませるのが一致してるから、オリジナリティがないって話もない。
「封建的秩序の象徴」として「侍女」の「奉仕」が、血や唾液といった「肉体の提供」になるのは、これもまた必然性というものだ。


同様に、永野護士郎正宗と設定魔であることが似ている、と、言っても、そのレベルで、一般化するなら、細かい設定の作品は全部、永野護士郎正宗ということになる。


先達の影響、「血」を感じるのは、人それぞれだし、私も、個人的に、奈須きのこに山風の血を感じる。
ただし、だからオリジナリティがない、というのは、明らかにおかしい。
逆の話、永野護士郎正宗と山風を同時に感じさせる作風というのは、私はオリジナリティそのものだと思う。

全体の分析

奈須きのこと、永野護士郎正宗山田風太郎の共通点を考えることはできるが、大きく一般化しないと共通点は見いだせない。それをもってオリジナリティがない、ということはできない。
月姫」と「羊の歌」が似ているのは、必然性を共有しているだけである。
月姫」と「痕」も同様に、必然性を共有している。
ただし、これらは同じジャンルで、比較的、近い期間に出た作品であるから、「痕」を遊んだ人が「似ている」あるいは「新鮮みがない」と感じることはあるだろうし、その批判は、妥当性はある。


ただし個人的に言い添えるなら、「雫」「痕」から始まったノベルゲームの伝奇路線が、「To Heart」で大きく舵を切って以来、萌え一色になった市場に「月姫」が現れたのは、新鮮な驚きであって、「似ている」とは感じなかった。

*1:山風の面白さは、こんな単純な要素に還元できるものではない。分析ということでお許し願いたい。