しかしこー

「合間に(はやしださん流の)ジョークで言った『オタは金ずる、じゃなくてお客様だから大切にしているよ』ってとこに『オタク関係も商売にしてるクリエーターとしてその発言はどうよ』って鋭く切り込まれて対応に四苦八苦、って感じ?」
につきましては、私は(その出来不出来はともかくとして)ジョークとしてそれが判るように記載しており、また、表現においてご不快になられた方については謝意を表明しております。
しかしながら、高橋直樹氏は明らかな私への悪意をもって、「ジョーク」の一節だけを強調し、私の本位ならざる見解を流布しようとしており、私はそれに対して高橋氏に対して問いただしたところ、高橋氏本人から「捏造であった」という謝罪のコメントを頂いております。

この批判は支離滅裂だなぁ。
「私は(その出来不出来はともかくとして)ジョークとしてそれが判るように記載しており」

「合間に(はやしださん流の)ジョークで言った『オタは金ずる、じゃなくてお客様だから大切にしているよ』ってとこに『オタク関係も商売にしてるクリエーターとしてその発言はどうよ』って鋭く切り込まれて対応に四苦八苦、って感じ?」
元記事の人、ジョークであること判ってるじゃん!高橋さん関係ないじゃん(笑)!

私はそれに対して高橋氏に対して問いただしたところ、高橋氏本人から「捏造であった」という謝罪のコメントを頂いております。

ちなみに、高橋さんが、その部分を捏造であると認めたコメントは、存在しない。

はやしだ 2008/02/16 17:27
>俺が認めたのは、
>萌えオタは格ゲーを遊べないなどとは言ってない、とか、ゲーセンor格闘ゲームが衰退したのは萌えオタのせいだとは言ってない、とかいうあんたの主張についてだけだ。

いや、これは結構重要な問題なんだよ。

君はあらかじめ俺に対して悪意を持って「事実誤認に基づき、俺の社会的信用を貶めようと画策して」いた訳であり、その事実を君は認めている。その上で、曲解した解釈を広めようと「金ヅル」がジョークであるにもかかわらず、そうではないく、これが俺の本心である喧伝しているわけだね。

ということは、あらかじめ君は「事実誤認に基づき、俺の社会的信用を貶めようと画策している」ために、ことさらに「金ヅル」という単語だけを強調して、自らのブログの読者に伝えようとしたと解釈できるわけだから、これに対しての俺の回答は「そうではないよ」でおしまいじゃん。

NaokiTakahashi 2008/02/16 17:32
ぜんぜん重要じゃないよ。その二件は俺の捏造ってことで処理していいし、なんなら謝罪したっていい。まずい要約をしてごめんなさい。これでOK?

で、あんたは萌えオタを金蔓呼ばわりするようなことをジョークのつもりで公言した、ということについては、これは適切な要約だと考えてるんで、議論をしたいというのならいくらでも付き合うよと言っている。
>ことさらに「金ヅル」という単語だけを強調して、自らのブログの読者に伝えようとしたと解釈できるわけだから、
出来ない、という話を、俺やtoward-endさんは今現にしてるし、批判的にブクマしてる人たちもそう考えてるんじゃないかな。どっちもどっち派はいても(これでさえ屈辱的だが)、あんたを擁護してる人って今んとこいなくね?

高橋さんが、捏造および謝罪を認めたのは、ここの一文のみ。
ここでの「2件」は、「>萌えオタは格ゲーを遊べないなどとは言ってない、とか、ゲーセンor格闘ゲームが衰退したのは萌えオタのせいだとは言ってない」であるのは明白だろう。
「悪意をもって、「ジョーク」の一節だけを強調し、私の本位ならざる見解を流布しよう」としたことについては、高橋さんは、全く認めていない。
「で、あんたは萌えオタを金蔓呼ばわりするようなことをジョークのつもりで公言した、ということについては、これは適切な要約だと考えてるんで、議論をしたいというのならいくらでも付き合うよと言っている」と書いている通りである。

おやおや

はやしださんが、高橋さんに、法的手段をほのめかした警告書を送っているそうだけど(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080217#p4)、高橋さん以外にも波及しそうだ。

次に、
「合間に(はやしださん流の)ジョークで言った『オタは金ずる、じゃなくてお客様だから大切にしているよ』ってとこに『オタク関係も商売にしてるクリエーターとしてその発言はどうよ』って鋭く切り込まれて対応に四苦八苦、って感じ?」
につきましては、私は(その出来不出来はともかくとして)ジョークとしてそれが判るように記載しており、また、表現においてご不快になられた方については謝意を表明しております。
しかしながら、高橋直樹氏は明らかな私への悪意をもって、「ジョーク」の一節だけを強調し、私の本位ならざる見解を流布しようとしており、私はそれに対して高橋氏に対して問いただしたところ、高橋氏本人から「捏造であった」という謝罪のコメントを頂いております。

高橋氏の悪意によって、こうした捏造が繰り返されていることにつきましては、今後とも高橋氏ならびに、高橋氏と同じく悪意をもって捏造を繰り返す者に対して誠実な対応を求めたいと思います。

さてさて、私は、「高橋氏と同じく悪意をもって捏造を繰り返す者」に入るのかな?


というわけで、今回の事件関連の、id:toward-endから見たまとめ。
ことの起こりは、高橋氏の15日の記事(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080215#p1)に始まる。これが、2月10日の、はやしださんの記事(http://blog.livedoor.jp/hayashida2007/archives/610232.html)への言及であるらしい。
らしい、というのは、元の高橋さんの記事ではリンク先を明言しておらず、トラバなども送っていないため。
この時点では、toward-endは、高橋さんの記事しか読んでないので、はやしださんへの印象はなし。今、双方記事が出そろった前提で読むなら、高橋さんの記事内容について、確かにはやしださんの記事の意図とずれていると読める部分はある。ただし、ウェブの言論において、話しが行き違うのはよくあることであり、そこは普通に話し合えばいい範囲だろう。


で、それを受けた、はやしださんの16日の日記(http://blog.livedoor.jp/hayashida2007/archives/621311.html)。
「恨んでなんか無いっすよ、だって萌えオタは良い金ヅル…じゃない、お客様でしたもの」というもの。


toward-endは、高橋さんの日記からこちらの記事を読み、いや、これはひどい、と、思った。

んでまあ、ゲーセンっちゅーのは客商売なので、出来れば全方位外交をしたい訳ね。でも、オタク(特に、自らの性癖を声高に店内でわめき散らす萌えオタ)が増えると、オタクによって得られる売り上げよりも、失う売り上げのほうが大きいわけよ。君がコンビニ店長だとして、毎日やってくるが立ち読みだけして異臭を放つ人間を「お客」として認識するかね?しないだろう。ゲーセンにおける「オタク(萌えオタ)」のポジションは、残念ながら、それと等しい。

いやいやゲーセンにおける萌えオタを、立ち読みしかせずに異臭を放つ客にたとえられたら、たまらない。


そして、高橋さんの16日のコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/comment?date=20080216#c)に、はやしださんが登場。以降、二人の議論(途中にtoward-endも入った)となる。


ここで高橋さんが焦点にしたのが「萌えオタは良い金ヅル…じゃない、お客様」発言。
これについて、はやしださんは、ジョークであって、萌えオタを金蔓と見ているわけではない、と、発言した。であるから、高橋さんが、「はやしだは萌えオタを金蔓として見ている」という言及は、「捏造」である、というものである。


で、toward-endの意見は、「いや、その言い訳は通じないだろ」というもの。失言として撤回するならともかく、ジョークとして見た場合は、萌えオタを金蔓として見下すニュアンスがあることは日本語として了解できるだろう。そのへんに関する議論は、コメント欄でも指摘したが、遺憾なことに、はやしださんからは放置されたままである。


というわけで、toward-endは、この日記において、「はやしださんは、その日記中において、萌えオタを金蔓とみなす発言を日記中で確かに行った」と主張する。


全文を載せるのであれば「恨んでなんか無いっすよ、だって萌えオタは良い金ヅル…じゃない、お客様でしたもの。」という発言である。はやしださんは、2月17日19:22分現在、これが「一種のジョークで、わざと間違った言い方をして、直後にそれを訂正するという古典的手法(「餓鬼…おっと失礼、ご子息」や「ババア…、おっと失礼、ご婦人」といった)なのだが」と主張されているが、その主張のジョークという文脈であっても、萌えオタを金蔓として見ているという発言内容には変化がない。


以上。

言わずもがなではあるが……

こりゃひどい。
http://blog.livedoor.jp/hayashida2007/archives/621311.html

よって、恨むことなど何も無いし。まあ、半公共空間なんで、異臭を放つのは勘弁してほしいな、とお引取り願った方もいらっしゃいましたがね。
ただまあ、下らんことで文句を言ってくる頭の悪いのはやっぱり萌えオタだよな、とありがたいサンプルを頂いたので俺としては大満足ですなあ。げははっは。
(中略)
んでまあ、ゲーセンっちゅーのは客商売なので、出来れば全方位外交をしたい訳ね。でも、オタク(特に、自らの性癖を声高に店内でわめき散らす萌えオタ)が増えると、オタクによって得られる売り上げよりも、失う売り上げのほうが大きいわけよ。君がコンビニ店長だとして、毎日やってくるが立ち読みだけして異臭を放つ人間を「お客」として認識するかね?しないだろう。ゲーセンにおける「オタク(萌えオタ)」のポジションは、残念ながら、それと等しい。
そうでなく、皆がハッピーになれるように、所作振る舞いや社交性やらを身に付け、人間としてのマナーを守れるようになってほしいなあ、と俺が言うと、NaokiTakahashi君みたいなのは必ず言うのだな「オタクバッシング(オタクに対する偏見だ)」と。

萌えキャラが好きであることと、人間としてのマナーがあることは、違う価値基準だ。


萌えキャラ好きで、マナーがなってない人。は、当然いるが。
萌えキャラ好きで、マナーを知る人。も。
萌えキャラ嫌いで、マナーがなってない人。も。
萌えキャラ嫌いで、マナーを知る人も。
全部いる。


マナーがなってない個人を、その行為について批判すればいいのであって、「萌えオタ」と「マナーがなってない」のを同一のものと印象づけようとする行為を、偏見、と、呼ぶわけだ。


俺はガキの頃からゲーセンいる人間として、それなりにゲーセンに金は貢いだし、身だしなみにも、ゲーセンのマナーにも気を配ってきたつもりだ。ついでにエロゲもギャルゲも萌えも好きだ。
別に自慢するほどのことじゃなくて当たり前のことだが、人間としてのマナーがなってない臭い金蔓と言われると、さすがに気分は良くないなぁ。

オーラは三原色に従うか?

大槻教授が、オーラの泉を否定。オーラの泉がトンデモであるのは確かだが、この人の反論も例によってトンデモ。
http://www.j-cast.com/2008/02/10016502.html

また、オーラの色が見えるといい、「あなたには、情熱的な赤と知性的な青が同時に見える」とおっしゃいます。しかし、これは物理学の3原色の理論を無視しています。赤と青が交じった光を同時に見ると別の色に見えるんです。もし、分離した色が見えるのなら、江原さんにはカラーテレビは見えないはずです。だから、3原色のオーラ占いはデタラメなんですよ。

仮にオーラが存在するとして、それが物理的な光であるとは誰も言ってないんだろうから、物理的な光と同じ法則に従う必然性はない。赤と青のオーラが同時に見えて、カラーテレビが普通に見えたとしても別に矛盾はない。


また、そもそも、色を混ぜると違う色に見えるのは、人間の目の都合に過ぎない。
光の色というのは波長であり、赤い光と青い光が一緒に混ざったからといって、緑の波長の光が生まれるわけではない。緑に見えるのは、あくまで人間の目の都合なのだ。
音にたとえると分かりやすい。ドとソが一緒に響くと、ミに聞こえる、というのが人間の目なのだ。
だから、「物理学の三原色の理論」というのは、細かいことを言うと間違い。


なので「オーラ」を感じる「霊感覚」みたいなものがもしあったとして、むしろ、上記の理由から、赤と青が同時に見えることを、オーラが存在する傍証とすることも可能だろう。


このへんの、「もしオーラがあったとしたら……」議論に踏み込んでしまうと、SF的な屁理屈は幾らでもつけられてしまう。それらはSFとしては面白いかもしれないが、科学的な議論としては意味がない。最初のとっかかりの「もしオーラがあったとしたら……」のところが、そもそも間違ってるからだ。


オーラの存在を科学的に否定するには「君らのやってることは別にオーラ感知能力がなくてもできるだろ」という点だけ証明すればいい。「果たして超能力が存在しうるか?」という議論ほど泥沼なものはない。


というわけで、大槻教授のコレは、科学的に間違ってる上に、科学に対する偏見を植え付けかねない内容なんで困る。

ひどいなこれ/統計学の誤り

「酒は百薬の長」ってホント?
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091201695598.html


酒を適量飲んでる人は、飲んでない人より死亡率が低い、というデータ。
ただし、これを持って、適量の酒が身体にいい、ということはできない。


なぜなら酒を飲まない人の中には、健康上の理由で酒を飲めない人が多く含まれているからだ。
「酒を飲める程度に健康な人の集団」と、「酒を飲めない病弱な人を含めた集団」なら、前者の寿命が長くて当たり前だ。


実際に、酒が身体にいいかどうかは、このグラフではわからない。
それはそれとして、間違った論法で洗脳かけてくるこの記事は、本当にひどい。

ポジション取りのくだらなさ

名声満足ゲーム

判断において一定の専門知識が必要なジャンルがあるとする。
そこにおいて相互に矛盾する説があって、現状の自分では、どちらを取るべきか簡単には判断できないとする。


正しいほうについて、自分が正しいことが証明された場合は、一定の名声や満足を得る。間違ったほうについて、否定された場合は、同様に不利益を被る。
利益、不利益は、その議論に関わった長さに比例する。
さて、この時、どんな戦法が有効か?


自分が正しいと思う側について正面から論陣を張った場合、成功すれば大きな利益を得られるが、間違った場合は、マイナスが大きい。


安全に利益を得ようとするのなら、「関わった議論の長さ」を最大にしつつ、かつ、旗色次第で、どっちの側にも飛び移れるようにしておくのが賢いだろう。


これが、つまり、中立、相対化タイプだ。
「どっちでもありえる」「どっちでもいえる」という立場で、両側に軽く足をおきつつ、議論に関わる長さを大きくしておく。その時の風向き次第で、「色々いったけど、もちろん、この場合の一個の視点として、現実的に、この立場を支持することは当然だろう」と言い張れるポジションだ*1


コストとリスクを減らして利益を上げようというなら、まともな議論を他人にさせつつ、既成事実を築いて、その結果だけ利用するという戦略が有効だ。

風見鶏は貢献しない

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080107/p1
何が言いたいかというと、このへんを読んだ感想*2


「論争傍観者」は、上記の理屈にそって、自己の利益を最大化しているのであるなぁ、というわけだ。


まぁ人間、誰かに誉められたり優越感を感じたりするのが全くないと、生きるのがつらいから、名声満足ゲーム自体は否定しないけど、上記の戦法自体は、大変に見苦しいものである、というのは言っておきたい。
なぜなら、この方法で得られた名声/満足というのは、誰かの労力に寄生し、それに害を与えることで成り立っており、何にも貢献していないからだ。


逆に、名声、満足という価値基準を排除した場合、最善手は全く変わる。


自分の間違いや無知を指摘されにくいような文章を書くのではなく、無知や間違いも含めた、ありのままの理解を、書こうとすればいい。そうすれば、文句言われて凹むかもしれないが、その過程で得られる知識は大きくなるだろう。そのことをフィードバックすれば、自分と同じ程度の知識の人への道しるべになるだろう。
自分に対しても他人に対しても利益がある行動だ。


もちろん、常にそうなるとは限らない。誠実に試行錯誤し続けていても、盛大に間違った方向にいったり、周りに迷惑かけまくったりする可能性はあるだろう。
とはいえ、取り返しのつかないことにならない限りは、間違った過程も過程として意味がある。


専門家や権威を参照することはできるが、自分の責任は自分でしか取れない。だから、自分の責任で発言するというのは、大変に恐くて不安なことだ。
であるならば、自分の知識や理解が半端であることを明示して、謙虚な態度を心がけるのがいい。
揚げ足取られないことだけを目的にして、中立を装って、上から物を言うのは、本人のためにも周りのためにもならない、というのを確認しておきたい。

*1:さらにいうなら、名声を最大にするためには、議論に永遠に決着がつかないことが望ましい。どちらかの結論が出そうになったら、混ぜっ返すことで、より長期間の利益が得られることになる

*2:立場を明確にするために書いておくと、私は南京虐殺と呼べる事件はあったと理解している。上記のモデルでは、相互に矛盾する説を両方とも対等に扱っているが、これは議論を一般化するための単純化であって、南京事件の否定論と肯定論を対等に扱う必要はどこにもないとも考えている

ちゃんと作り込もう

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20071219/p1
まぁネタって書いてるからわかっちゃいるんだろうけど、真に受ける人もいるかもしれないし。


アイマスは、育成シミュレーションであり、普通のギャルゲと同じく、会話イベントやストーリーが存在する。
ニコ動界隈で、ユーザーがキャラを追加した部分もあるが、基本は、ゲーム中に描き込まれたキャラクターがあってこそ、である。
その点、そうしたストーリーを意図的に排除した伊達杏子とは比較できない。
im@sMADがブレイクした理由としては、同様に本当に丁寧に描き込まれた表情や、各種モーションがある。これも(こちらは技術の進歩の問題だが)伊達杏子にはなかったものだ。
抽象性を持たせて作り込まないことで、ユーザー主導を狙って失敗したのが伊達杏子である、と言えよう。


ユーザー主導のコンテンツといえど、臨界点に達するには、相応に作り込まれたものが必要、という当然の点を確認しておきたい。
問題は、何を作り込んで何を残すか、だ。


人がデフォルメキャラにこそ感情移入する理由については、スコット・マクラウドの「マンガ学」で一般化して解説されていたなぁ。

 ところで、アイマス関連での突っ込みは想定の範囲内なのですが、誰もぼくのゆがんだ「ときメモ」観を修正してやろうとはお思いにならんのでしょうか。「藤崎詩織は萌えキャラでもアイドルでもない、ただの凶悪モンスターだ!」で本当にいいのでしょうか。

釣られてる気もするが、一応。


ときメモ」の頃は、まだ萌えが市民権を得ていなかった。
硬派ゲーマー=漢=システムを評価
軟派ゲーマー=ダメ人間=おんなのことかを評価
みたいな対立が気分的にあった。
そこにおいて、ゲーム部分と女の子部分が見事に融合した「ときメモ」というゲームを得て、硬派ゲーマーは、様々に葛藤した。


あるいはそれは、硬派ゲーマーの自分が、女の子を可愛いと思っていいのか。それは堕落ではないのかという葛藤だった。
あるいはそれは、「ときメモ」というソフトが、このまま消えるのは、あまりにも、もったいないと思い、どうすれば、生存させられるかという葛藤だった。
だから、普段軽蔑しているギャルゲーマーの歓心を引くべく、頑張った。
だから、ギャルゲーというジャンルに鼻も引っかけないゲーマーに、どうやれば、それがゲームとして素晴らしいかを伝えようとした。
単純な一本道ストーリーを提供するだけの紙芝居系とは違い*1、無数のイベントが有機的に連動しているシステムの感動を、どう語ればいいか、というのもある。


そんなこんなの葛藤があって、ときメモを、敢えてキャラゲー以外の観点から語る必要があったわけです。多分に混乱した議論が色々残ってるのはそういうことです。


だけどまぁ落ち着いて考えれば「ときメモ」が面白いのは、女の子が可愛いからなのは当たり前の話で、本来は、否定するようなことじゃありません。

*1:それはそれで奥が深いんだが、そうした硬派ゲーマーの求めるゲーム性と違うのも確か